三川内焼のお手入れ方法と使い方|三川内焼

三川内焼のお手入れ方法と使い方|三川内焼

三川内焼のお手入れ方法と使い方|三川内焼

今から400年前の朝鮮出兵の際、平戸藩主松浦鎮が朝鮮から連れ帰った巨関(帰化して今村姓)に平戸・中野で窯を作らせたのが三川内焼きの始まりです。また朝鮮の女性陶工が中里家に嫁ぎ、三川内に住んだという経緯から三川内焼窯元は、今村姓と中里姓の2つに大きく分かれるようになります。そして三川内焼きが平戸焼きとも言われる所以です。

 

しかし平戸ではよい陶石に恵まれず、良質の陶石を求めて落ち着いたのが三川内でした。そしてこの土地で平戸藩御用窯として確立され、陶工たちが手厚く保護される環境で、採算を度外視して優れた器を作ることに集中して、青磁、白磁、染付など、錦手、彫刻物、盛上物、捻り物など沢山の技を極めていったのです。そして19世紀初めには卓越した技術によって作られた美術的価値のある薄手のコーヒー茶碗などの器がオランダや中国にも渡り、王侯貴族にも愛用されました。

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明治以降の三川内焼

明治に入り藩窯が廃止され三川内焼存亡の危機もありましたが、豊島政治が立て直し、三川内山に意匠伝習所を創設し、それまで培ってきた御用窯の技術が現代にも受け継がれています。

三川内焼の特徴、唐子の絵柄

三河内焼の特徴は、唐子(中国人の子供)が楽しく遊ぶ絵柄です。御用窯で焼かれた松と牡丹の周りで遊ぶ唐子を描いた物を献上唐子といいます。その中でも七人唐子は献上品、五人唐子は大名などの贈り物、三人唐子は一般庶民用と決められていました。それも庶民が使うようになったのは廃藩置県が行われた明治以降のことです。

 

また三河内焼というと、天草陶石と網代陶石を用いた白磁が世界的にも有名です。この繊細な白磁に生える染付、細工物、玉のような輝きも特徴の一つです。その他、菊花飾細工や極薄手の磁器、卵殻手なども代表的な作風です。

 

400年以上の歴史もある三河内焼ですが、完全世襲制で後継者に受け継がれています。現在では伝統の染付唐子や精密な透かし彫りの技法を受け継ぎながらも、新しい技法や感覚を活かした優れた陶磁器が制作されています。

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